すべてが杞憂であれ。

好きなものの事。とにかく考えすぎているのです。

最近ちょっと不安になる理由

あまり楽しい内容じゃないのはタイトルから察していただけますよう。何卒何卒。

ファンとアイドルの距離感が近すぎる事に不安を覚え始めたのはいつからのことでしょう。

昔は芸能人なんて漫画の中の人物と変わらないぐらいの存在だったはずなのに、今や握手会をはじめとする接触イベントが当たり前になり、お金を積めば画面の中の人があたかも現実の存在になるような錯覚を覚えさせられる。

そんなことが当たり前になってしまっている事に非常に危機感を覚えます。

もちろん、ファン側である私たちも節度をもって接しないと生活が疎かになってしまったり…周りに迷惑をかけたりという危機感はあるのですが…。

私の危機感は、画面の中の人たちも人間だということなのです。

ファンの顔を覚えるのも、お仕事のうちのひとつ。みたいになっているのだと思うのですが、私はそれがアイドルのプラスになるとは思えないのです。

アイドルやアーティストの本来のお仕事は表現することでその対価を貰う。自分たちの表現に共感してくれる人をなるべく短期間でたくさん集めなければならないお仕事であり、お客さまひとりひとりのご希望を伺って地道に顧客満足度を上げる接客業ではないということ。

なので、接客業の観点からアイドルをしてしまうと、ファンを爆発的に増やすのは難しいのではないかと感じます。

私の思う接客業は、お客さまの顔と名前を覚えて、お話を伺って、希望に合ったものを購入して頂く。お客さまと商品を結ぶ立場だと考えてます。

それが積み重なっていくと常連さんと言われる固定客が徐々に増えていきます。

そして、いつも来られるお客さまが見えないと、ご病気かしらと心配になったり、お買い物の金額が期待よりも少ないとがっかりしてしまったりするのです。

顔を覚えると、これだけ1人のお客さんに心を動かされてしまう。

さらに、お客さんに対して甘えも出てきてしまう。
この時期はあの人が買ってくれるから大丈夫だろう。あのお客さんなら事情を話せば許してくれるだろう。

これが私の感じる危機感です。


アイドルがファンの顔を覚える事で、たったひとりのファンにひどく心を動かされることだって出てきてしまうと思うのです。

これってすごく大変なことだと思います。

ファンの顔を覚えずにいれば、多少の批判や悪口なんて気にならなかったかもしれません。
でも、顔と名前を知ってるあの子が自分のことを受け入れてくれなくなったら。話がだいぶ変わってきます…。

知らない人に言われるのと知ってる人に言われるのでは言葉の重みが違う。

それでも、ファンなんてのは好き勝手なことを言うし、知らない間に離れていくのです。

古参の子が見えなくなったと思って心を取られてるうちに、今度は新規のファンが私のことを覚えて!とやってくる…。

もちろん、嬉しい事もたくさんあると思います。
あの子は今回もたくさん来てくれた。
新曲の感想が直に聞けてよかった。
みんなの笑顔が見られて良かった。

いい感情でも悪い感情でも、それだけファンに心を動かされる事がいい事とは思えないんです。

本来は、ファンの顔なんて全員見えないような会場を埋めたいわけだから、自分たちの顔を覚えてもらう必要はあっても、お客の顔なんか覚える必要はないと、私は思います。

いちいちファンの言動に心を動かされていては、心が保たないのでは…と不安になります。

接触イベントを否定しているわけではないのでご容赦ください。
それも生きる道だということは承知しております。

ただ、ただ心配なのです。
あまり心を動かされては、道を見失うのではと不安になるのです。
迷わずに先頭を切って歩いてくれれば、ファンはついて行くのだから…と。

世の中、知らない方がいいことってたくさんあるよね。


…このブログのタイトル通り。
すべてが私の杞憂であれと願うばかりです。

楽しくない話に長々とお付き合いいただきありがとうございました。


それでは、ごきげんよう。


アイドルとアーティスト

アイドルを応援していると、よく聞くと思うんです。
自分の応援している対象は、アイドルなのかアーティストなのか。

私個人としては正直なところどちらでもいいのです。推しとファンが楽しく活動できていればそれで幸せなのです。


2月21日に原宿駅前ステージ原駅ステージAの単独公演を観に行きました。
彼女たちは4月にデビューが決まっているダンスボーカルユニットです。

原宿駅前ステージという箱の構造上、出演者だけでなく、ファンのみなさんの顔が良く見えるのです。

その、みなさんの本当に幸せそうな笑顔を見て思いました。


アイドルは、笑顔とパフォーマンスでファンの皆さんを笑顔にする。

アーティストは、自ら生み出したもので人を感動させる。

私の中ではそういう括りに落ち着きました。

だから、年齢ではなくこれを満たしてくれれば私の中ではみなさんアイドルです。


アイドルが向いている対象はファンであり、アーティストが向いているのはアーティスト自身。

アイドルはファンがいないと成り立たないけれど、アーティストはファンが居なくても成り立つ。

もちろんどちらかと割り切らずに両方やってる方もたくさんいらっしゃると思います。


結局何が言いたいのかというと…。
私はLeadには死ぬまでアイドルでいて欲しいなぁ…。
ということでした。


それでは、ごきげんよう。


余白を…愛している。

ただ、余白と言ってもなんのことを言っているのかわからないと思いますので、私の思う余白について説明するところからはじめたいと思います。

小説でも音楽でも絵でも何でもいいんですけど、作った人から一方的に発信されるものではなく、受け手のこちら側が想像できる部分を「余白」と呼んでいます。

世の中にとてもたくさんの作品が発表されていると思いますが、受け手の想像力や妄想力をかき立てるような作品が好きです。

不確かなものとでもいいましょうか。

例えば…。
5分間の歌の中で間奏が30秒あったら…。そこは受け手の自由に取れると思うんです。
曲を作った人が、なにを思ってここにこれだけ長い間奏を入れたのか。

何か裏テーマがあって、その世界観を表すために不可欠なものなのか。
そこには歌詞が入っていたのだけれど、やめたのか。
間奏を聞きながらサビの歌詞を思い返して欲しかったのか。

この、余白があるからこそ、本来伝えたい事が活きると思っているのです。

なので、何かの作品を見たときに、これは余白まで考えられているなぁと感じると、もうその時点で好きです。

言葉は余白でものびしろでもスペースでもあそびでも何でもいいのです。
本当に伝えたい事がある時に、詰め込みすぎない工夫。あえて受け手に任せる度量。
想像させてくれる余裕。

そーゆーところに、プロだなぁと感じたり、作り手のセンスを感じたりするので、私は余白を見ています。
だから余白が好きです。

男兄弟ってのは女にとってファンタジーだ①

男兄弟に限らず、男だけの世界というのは女性にとって想像の世界でしかなく、つまりファンタジーだと思うんです。

これをこじらせたのがBLですね。
こじらせた話は今回はしません。
だってわたしはLeadの話がしたいんですもの。

私から見るLeadの全てがファンタジーなんです。

Leadそのものがまるで3兄弟みたいなのは言わずもがな。
しかし、書きましょう。書いておきましょう。その為のブログですもの。

私から見たLeadというファンタジー。
実際の兄弟関係とそれに基づく他人との距離感。


長男…谷内伸也(28)
真面目で素直で優しい長男。常に一歩下がって弟達を見守るポジションを取りがちだが、それではマズイ!ここは芸能界ぞ!と前に出るも、出たところで真面目に天然ボケをかます愛すべきキャラクター。

他人との距離感はちょっと遠め。遠いと言うと言い方が悪いかもしれないのですが、失礼のないようにキチンと距離を取ってから、相手に合わせようと一歩ずつ歩み寄ってくれるタイプだと思われます。

実際の兄弟関係も3人兄妹の長男でありながら、下2人は妹という女系家族のためか、かなり控え目で見守るタイプ。


次男…古屋敬多(27)
自由奔放。何を考えているかわからない。考えてやっているのか天然でやっているのかすらわからない。しかしその行動や言動がファンを魅了しており、まさに天才としか言いようがない。
しかし繊細な一面も持ち合わせており、凹みやすかったり傷つきやすかったりもする。そこがまたファンの心を掴んで放さない恐るべきキャラクター。

他人との距離感は恐るべき近さ。パーソナルスペースってご存知ですか?と聞きたくなる近さ。しかし不思議と相手に不快感を与えず、あっという間に仲良くなってしまう。あれも一種のバランス感覚なんだろうと思われる。
それにしてもなんだあれ…特殊能力なの?

実際の兄弟関係も兄と妹に挟まれた次男。彼のバランス感覚は兄と妹に挟まれているが故のバランス感覚なのか。



末っ子…鍵本輝(27)
甘えたがりのしっかり者。ちゃっかり者?頭の回転が早く、周りをよく見て空気を読めるタイプ。賢明に兄達をフォローするも、本当は自分が1番ふざけたいし甘えたい末っ子キャラ。だから頑張った分だけめいいっぱい褒めてあげたい。褒めてあげてください。

他人との距離感は表面上は近くても心は遠いタイプ。心を開くにはちょっと時間がかかる。相手の出方を見てからじゃないと動けないんだけど頭の回転の速さと瞬発力でそこのところは気づかせないと思われる。

実際の兄弟関係は兄との2人兄弟。末っ子といえば末っ子だけど、いわゆる次男。なぜここまで末っ子キャラになったのかはナゾ…。やはり見た目の可愛さから、親兄弟だけでなく他からも可愛い可愛いされてきたのだろうか?


あれ…私、シンヤーズだから贔屓にならないように書こうとしたら逆に1番短くなるというオチ。


さて、これが私から見たLeadというファンタジー。
さらにファンタジーっぷりを書いていこうと思ったのですが、これだけでもなんだか結構な時間がかかってしまったので続きはまた次回にしたいと思います。

って言って書かないパターン、私あるあるですけども。てへぺろ



それでは、ごきげんよう。

そもそも。

そもそも、私がこんなブログをやる気になったのは、Lead(という男性アイドルグループ)について色々考え過ぎていることが理由でした。

私は彼らに、売れて欲しいという気持ちが強すぎるのです。
なんなら、本人たちよりも具体的に、宣伝方法や売り方について考えているのではないかと思うぐらいなのです。

商品の売り方を考える事は社会に出てからというもの、職が変われどもずっと一貫してやってきたことなので、職業病といえばそこまでなのですが、だからこそ、色々な事が気になるし、真剣に考えてしまうのです。

そのうちきちんとまとめてみたいと思っていることをここに箇条書きにしておきます。

・Leadは魅力があり過ぎて逆にどこがイチオシなのか分からなくなっている件。
・Leadが如何に多様な魅力を持っているかを裏付けるのは、ファンである。
・Lead若くしてベテランであるが故にもつ魅力と可能性。
・あれだけ仲のいい男性グループなのに、何故、腐らせずに満足ができるのか。
・各方面オタク女子のみなさんどうかLeadに気づいてください。
・Leadersというたこつぼの危うさ。
・もはや古屋敬多に言うことはなにもない。頼むぞ古屋敬多
SNS本当に分かってる?私もな。
・顔を覚えられて嬉しいと思うファンばかりではない。
・ラジオヘタクソ論。
・需要を考えてみる。
ゲッターズ飯田さんが、今年は少人数の2〜3人のグループが評価される年だってだって言ってたけど、それってLeadのことですよね?

などなど。
箇条書きにしただけでも考え過ぎているのがよくわかるのであります。

気が向いたところから書ければいいなと思いますので、おひとつどうぞおつきあい。

それでは、ごきげんよう。



ごきげんよう、 への憧れ。

お昼の番組の事ではありません。

挨拶で使われる「ごきげんよう」です。


大人になって、この挨拶をサラッと使える事に密かに憧れていました。


上流階級の女性が使うイメージが強い人も少なくないような気がするのですが、私がそうでした。

しかし、私がこの挨拶を強く意識し始めたのは、NHKのテレビ体操で講師として体操をされている壮年の男性が、お別れのあいさつに「それではみなさま今日もよい1日をお過ごしください、ごきげんよう」と、挨拶されるのです。


これが、ごきげんようの使い方なのか…!と、軽い衝撃を受けました。


それからは、機会があったら使おうと思っていつつもなかなか使えない日々を過ごしております。


そうしているうちに、男性2人目のごきげんように出会ってしまったのです。

私が何年も前から大好きなお笑いコンビ、ダーリンハニーの吉川さんです。


スカパーで吉川さんがやられている、鉄道ひとり旅。

この番組の最後に吉川さんが「ごきげんよう」と挨拶をされるのです。


好きな人が好きな挨拶をしている…!というときめきは、とても言葉では説明できません。


ここにきてやっと、ごきげんようの使い方や意味を調べてみようという気になりました。

なぜ今まで調べなかったのか自分でも不思議です。


すると、使うときはいつでもよいとのこと。

お互いにごきげんの良い時間を過ごしましょうねという意味らしいのです。


なんて素晴らしい!!!


ますますこの挨拶を自然に使えるような人間になりたいものだと思いました。


ということで、せめてこの場だけでも積極的に使いたいと思います。


それではまた、ごきげんよう。


はじめに。

とにかく自分の考えていることを書いてみようと思いました。


普段、ものすごく色んなことを考えているのです。

正直、脳みそが動いていない時間がないのです。


考えと考えを繋げて行って、また新たな考えが生まれ、何かに気付くのです。


答えが出たかと思いきや、時間が経つとそうでもなかったり。

とても色んなことに思いを巡らせているのです。


そんな話を友人に話したり、Twitterで訥々とつぶやいたりしていたら、それはブログに書いてくれと言われたのです。


それも1人でなく3〜4人。

これは何事かと。


あまりに短期間に言われたので、ちょっとやってみる気になりました。


思い起こしても、ただただ自分の考えていることを書くことなど今まで無かったように思います。


色んな事に自分なりに答えを出しては、あーでもないこーでもないとやる事を「考察」というのだと知りました。


自分の好きなものについての考察を、書いていこうと思います。


しかし、ここに書く事は、すべて私の考えすぎであれ。すべてが杞憂であれ。

そういうブログにしていきたいと思います。



それではまた、ごきげんよう。